+81 2話

作:U4

 私は機械が憎い。かつての利益のためにと仲間を裏切らせた機械が憎い。その黒い金属で、私の唯一の大切な人は家族を失い、その身体を紅に染めた。その歪な鉄箱は、私を地下に閉じ込めた。
 私は私が憎い。大切な人間を守れずに呆然とするしかなかった、力無き自分が憎い。疲れを見せては周りに労わってもらう自分が憎い。
 私の憎い憎いは止まらない。開放などされるわけがない。……ならばやることは一つだけ。毎日新鮮な憎しみを育み、一番に憎い機械を嫌うのだ。
 私も、貴様も、土竜なって生きる誰も彼も。
 せいぜい働け。糧となれ。

2 誕生
Aランク81ブロック第26地区
遺伝子研究機構 第四手術室

 日本列島と呼ばれる島の外れのとある場所を、これでもかというほど掘り進めたとしたら?

 ……信じられないかも知れないが、そこにはいたく小さな生命の輝きがあるのだ。
 地表から遠く離れた、モグラでさえも住んでいない暗いくらい地下の世界。今この瞬間、そんな世界の中で一人の人格が誕生した。
「‼ 」
 思考能力が働くよりも先に、まぶたが開いた。今まさに、人間に自我というものが芽生え始めたと瞬間だったと言ってもいい。
 真っ白だった頭の中に、意識さえなかった体の中に、五感を通して得体のしれない情報がとめどなく流れ込んでくる。
 無機質なコンクリートの天井に、手術室のような電気の切れた蜂の巣ライト、肌寒さ、機械の唸り声、アルコールの匂い。わけがわからないままに情報を飲み込まされる興奮で、体中が埋め尽くされる。
「……。」
 状況をしばらく咀嚼すると、今度はとめどない疑問が押し寄せてきた。ここは一体どこなのか、自分は一体何であるのか。
 二本の腕を神経で確認し、上下に動かしてみる。自分が思ったとおりに動き、想像以上の力が入った。右手をついて身体を起こそうとしたが、手をつこうとした場所に地面はなく、人間の身体は寝ていた場所から落ち、ゴスと下に叩きつけられる。
「ぅあ!! 」
 ヒト相応の痛みを感じた彼は、初めて体験する苦痛に顔を歪めながらも、少し不思議な感覚を覚えていた。まるでこの苦痛というものや、声の出し方をどこかで経験したことがあるように思えて。
「あ、ァおあ」
 彼は本能で、先程自分が落ちたであろう台のようなものから即座に距離をとった。身をかがめて周りを警戒するかのように緑のタイルを擦り動く。そして人間は、あるものの前でピタリと動きを止めた。
(なんだ、俺の動きに合わせて、壁の色が変わった。俺が口を開けて、手を上げるのが、わかってたみたいに……。)
 人間は何かを悟った顔になり、自分の手のひらや脚を色の変わる壁を見たり自身を見たりしながらペタペタと触り始める。
「んぉ、ぅおれ、け。かがに、かげ」
 柔らかい肌、銀色の目、細い指、眉毛、黄土色の長い髪の毛、オペ用の服。壁に写った物体は自分自身であり、それが写っているだけだということを理解したということは、自分が若い女であることを理解したということでもある。彼……改め少女は、どうにかこうにか、冷静になり新たな疑問を作り出した。
(誰も、いないなのか? )
 冷え切った空間の中にいる有機物は、恐らく生きているものに限れば彼女しかない。彼女の本能に従えば、同種が一緒に居てくれるはずなのだが。残念ながら動くものすら見つけられなかった。
 少女は身震いをして、壁に手をつきながら周りを見渡そうとした。そして徐々に、彼女の脳内にある知識というものを感覚で使い始めた。
「た、たしけれ……してけ。助けえ」 金属のドアノブを乱暴にガチャガチャとひねる。得体のしれない知識とやらを使っていると、身体が少しづつ情報に追いついてくる。感覚がはっきりしてくると、一人の恐怖も顕になった。
 金属の棒、スイッチ、台。様々なものを動かしてみても、少女の家族は姿を現さない。ドアは結局鍵がかかっていて空きそうもなかった。彼女の感情に、徐々に恐怖が募っていく。
「おぁ、んさん。あてけぇあ、けねぇ」
 振りかぶってドアを大きく叩くと、その先に空洞があるのが感覚でわかった。このまま突進すれば出られるだろうと扉から引き下がって考えていると、彼女の神経は突如別の物に釘付けになった。
 天から、声がしたのだ。
【……おい、なぁ。ヒト……? 大丈夫か? 】
 冷静に考えればただのスピーカー音であったのだが、誰もいない空間からの人の声によって、少女の混乱はその時まさに絶頂に達したのであろう。男らしきその声の主に向かって、たどたどしく吠え始める。
「だ、れだれだぅあ!! 出しぇ、ここ出せかられだおま、ぇぅわ‼ ああぁあああ‼ 」
【そん……まじ、かよ……】
「あけろ‼ ドワ、あけろ‼ おい‼」
 力強く叩かれても、扉は凹む気配すら見えない。それに対し少女の腕は、青黒く変色し始めていた。
 少女の絶叫がしばらくこだましていたが、先程まで黙っていた天の声が、何か心に決めたように再び声を発する。
【…………だ、大丈夫ですよ。落ち着いてください! 今からお、わ、私が扉を開けますからね! 】
 涙ながらの少女に聞き取れないような優しい誰かの声はそう告げて消え、しばらくすると彼女が獣のように殴りつける扉の向こうからの足音に変わった。
「ヒトさ」
 開いた扉は、しかし、混乱して狂ったように扉を叩いていた彼女の暴力の行き場をなくさせた。驚いたような顔をし合ったまま、少女の拳は正面へと当たる。
「ぅあ」
 ゴス
 痛々しくも鈍い音と共に、こちらに来た影は床に伸びてしまった。少女も、やっとのことで落ち着きを取り戻す。と、同時に、開けた空間……もとい廊下の先にまだ進めることも理解した。地面を一瞥した先の物体は、生きているとは思えない程に冷たく、その時の彼女の目に留まりはしなかった。先が暗くなっているが、外に出たかった彼女は勇気を振り絞って進み出す。不安一色の中で「誰か、誰か」と呼びながら走った。然し、あまりに急いで動かしたせいでその場に崩れてしまう。顔を上げて向こうを見てみると、曲がり角の先はもっと長く、暗く、深い一本道が続いているのがわかった。
 先程よりもじんわりとくる床の冷たさに、少女は呆然として動けなくなる。一種の虚無を覚えていた彼女の背中から、突然聞き覚えのある声がした。
「待って、ください」
「こぇ、さっき。うえ、あんた? 」
「そう……そうですよ」
 先程床に倒れていた誰かは、どうやらスピーカーの主と同じ生き物だったと理解する。まだ不安で心がいっぱいではあるが、落ち着きを少しばかり手にした彼女には一種の安堵さえ生じた。
 彼女は身体を起こして、ゆっくりとこちらに近づいてくるその生命体を凝視する。逆光で黒ずんだ巨体は、自分のそれのように二本の手足と頭を持っていた。
「だぁれ、た゛? 」
「……こちらへ」
 自分の質問に答えてくれない事に不満を覚えながらも、彼に手を引かれるがままについて行った。

 案内されたのは、小ぢんまりとした事務室。彼女を連れてきた人間と彼女自身以外には、人間の気配はまるでない。ましてや生き物の吐息すら無かった。 ソファに座らされて呼吸を整えた少女は、改めて発光ダイオードに照らされる棒人間を眺める。ビリジアングリーンの服と帽子よりも、よろよろとおぼつかない足取りで、困り眉に胡散臭い笑みを貼り付けた皺のある顔がなぜか脳裏にこびりついて離れなかった。 ガン見をされても何も言わずに、その男は飲み物を用意し始める。「なぁ、あ。ここ、何処だ? 」 安っぽい布をポスポスさせながら、女は相手に問いかける。先程よりも随分と流暢になった日本語に、彼はなぜだか安堵の様子を顕にしていた。彼は残念そうでありながら嬉しそうに、品のない笑みを浮かべて、こう返す。
「何も覚えていないのですね」
 言葉を失ったのは、少女の方であった。言語などの知識があるという謎はさておき、自分が先程横たわっていた場所、あそこで目覚めたときが彼女の生命の始まりだと思っていたばかりに、その言葉の意味がしばらく理解できなかった。そんな子供を流し見て、彼は言葉を続ける。
「先ほどの手術室の様子……実は私、あなたが起きてからずっと見ていたのですよ。見るに堪えなくなって迎えに行きましたが、お人柄もずいぶん変わられて。まさか自分自身の事も分からないのですか? 」
「んぉ、おばえてなぃ」
 図星な質問をされ、彼女は頷くことしかできない。彼に敵意が無いことは様子からして明らかだが、てんで分からないような内容を話されているような気がする。それを見て彼は……穏やかにため息をついて向かいに座り、こちらの目をしっかりと見つめた。
「では、あなたのこと、ここの場所のこと。あなたの質問に私が答えられる限り答えましょう」
 そう言って彼は、少女の小さな手をとって淹れたばかりのカフェオレを持たせてくれた。
「これ、なんだ。」
「コーヒーですよ。飲み物です」
 自分が持っていたコップを傾けて、男は先に飲んで見せる。少女もそれを真似をして陶器に口づけすると、温かくて甘い液体が口に流れ込んできた。生まれて初めて感じたぬくもりだった。
「おいし。」
 そう呟いたのに対しホッとしたように笑みを漏らす男を見て、無意識に言葉が漏れる。
「あんた、俺しってるの? 名前。何なのか。」
「えぇ。あなたは『ヒトリ』と言う名前の人間です。そして、私は『No.7』というあなたのお世話係です。あなたが記憶をなくす前から、知っていますよ」
「なんばぁ……おせわ……じャ、か、かぞく⁉ 」
「……あなたでないあなたに言われたかったですが……そういうことにしていただいて構いませんよぉ」
 嬉しそうに声を上ずらせた人間……ヒトリに、男はなにかを諦めたように手をひらひらさせる。ひんやりしていた空間に、色の違う生ぬるい暖かさが戻ってきた。
「それと、残念ながらあなたのご両親はここにはいらっしゃいません。ヒトさんはこの地下に引き取られたのです。」
「地下? ……ソ、そなのか。じゃあ俺、ここの人に助けれれたんだ。良い人たちなんだな。」
「……えぇ」
 ヒトリが部屋の中に視線をずらすと、一つのデスクの上に写真立てを見る。今目の前にいる人間が立つその隣にいるのは、さっき鏡で見た自分が微笑んでいる姿だった。
「どうして俺、忘れてる? 」
「あなたはこれからの『仕事』に向けて、手術を受けられたのです……しかしまさか、記憶を失ってしまわれたなんて……」
 顔を歪める相手に視線を戻し、ヒトリは仮面のような表情を変えないまま、軽く頷く。
「ん〜。……あ、あ、仕事って何? 俺、多分力仕事なら。」
 純粋無垢な少女の様子に、少なからず男は苛立ちを覚えてしまう。彼にとってのこの空間での常識は、見たところ彼女には想像もできそうにないようだ。
「えー。信じられないかもしれませんが」
「うん。」
「我が研究団体『遺伝子研究機構』による『機械研究連合』への報復のためのスパイ活動です」
「報復……敵がいるのか。」
 どうやら知識だけは昔のまま残っていたらしい彼女の脳内には、No.7の告げた内容がざっくりと理解できていた。つまり、自分は闘いをするために手術を受けさせられ、そして今に至るらしい。今のヒトリに筋力などの不安はなかった。それに何よりも、この世界の知識が乏しい彼女は不思議とぶっ飛んだ内容にをツッコミを入れられるはずがなかった。しかし、身体能力があれば務まるものではない。
「俺、一人でそんな仕事できるかな……。」
「それについてですが」
 彼女の少し不安そうな声色に、彼は少し嬉しそうにこう告げる。
「……ヒトさんが休まれている間に取得したデータから推測しますと、現在の精神状態では視察隊及び起動要員になるのは不可能です。いやぁよかったよかった。ですからあなたの身体は無傷で……ヒトさん? 」
 だらり
 彼女の額から、あまりにも分かりやすく冷たい汗が流れ出る。
150センチにも満たない彼女の小さな体が、痙攣したかのように震え始める。難しい単語の意味は分からないが、それでもなんとなく意味はわかる。胸の狂ったような高鳴りが、それを辛いほどに証明していた。
「……っと待て。それじゃ駄目ら。」
「え」
「それじゃダメだ! 」
 ヒトリが前線に投じられないことを喜ぶとばかり思っていたNo.7は、彼女の返答に言葉を失ってしまう。温かみを帯びていた空間に、張り詰めた空気が降りた。
「ぅお、俺。捨てられるのか? 」
「……おい」
「ぃぁだ……待ってくれ‼ 俺ガンバるよ。身体も動くし戦える! だからして、捨てないで‼ 」
 10ほどの見た目不相応に分別の悪い少女は、浅い呼吸を落としながら砂の舞うような声を絞り出す。お世話係と名乗るNo.7と言う男が一体自分にとって何なのかはわからないが、孤児と言われた以上捨てられてしまってはおしまいだということは分かっていた。 そんな彼女を見つめる男は、男だけは昔の彼女を知っていた。駄々をこねる子供のような幼さに、その言葉の無垢な無謀さがあまりにも痛々しい。それでも。
「ヒトリさん」
「セブン! 俺、組織に助けられたんだろ⁉ 俺何も返せてないから‼ 仕事で死んでもいいから‼ 」
 ぽす。と、俯いてうなだれる彼女の頭に、突如無骨な手が乗せられる。ぎこちなく冷え冷えとした彼の体温とも言えない体温はむしろ、彼女から熱を奪うはずなのに、その感触はどこまでも温かく哀しかった。
「死ぬことは許されません。あなたが、元のあなたをとり戻すまで。しかしそこまで言うのなら、スパイ部隊に加われなくても、この組織でやれる事はいくらでもあります。薬を構えるより前に、それを試されてみてはいかがです」
 がさつに撫でられる感覚に、本能的な懐かしさを覚える。ヒトリは目もとだけ呟いて、長いまつげを伏せた。
「そしてどうか、私のことはNo.7ではなく『ヴィー』と読んでください。以前のあなたに頂いた名前ですので」
「わ、わぁた。かった、わかった。ヴィー。なぁ」「なんですか」「俺、組織の役に立てるように頑張るから。」
 男は、ヴィーは青みのある冷たい瞳の中に、自分の姿が映っているのをあまりにも愛しく感じた。いつかの自分を見たときのように、また面影なき昔のヒトリを見ていたときのように、繕った笑顔でこう応えた。
「えぇ。ありがとうございます」

Aランク81ブロック第26地区
第十四部隊フロア端

「ヒトさん。今日は、あなたの手術を行ったドクターに診てもらいましょう」
 数日経ったある休日。ヒトリも大体生活に落ち着きが見え始めたときのこと。簡単なバイタルチェックを終えたヴィーは彼女を連れて、とある場所に赴いた。 普段彼女が移動できる空間は非常に限られており、例の事務室とその向かいにある自室、そして食堂くらいしか行けるところがない。少しでも廊下の外れに行くと、モニターのある壁に行き着いてしまうのだ。ヴィーの「日にちによって開けられるところもありぁすよぉ」という言葉通り、今日は廊下が長くなっている気がした。
「なぁ、ィー。ここ、そのへあ? 」
 あのフロアよりも投資されている資金が多いからか、幾分か綺麗になった廊下の真ん中で、立ち止まる長身の男の後ろに隠れながらヒトリはずいぶん警戒したように腰を低くしている。
「えぇ。私とヒトさんの専属医の研究室ですよ」
「ヴィー、あ汗かいてる。大丈夫、か? 」
「大丈夫ではありませんので安心してくださいませ」
 やや引きつり気味なその笑顔は、まるで不本意ではあるがいやいや連れてこられたという本心を顕にしているかのようだ。彼女の言うとおり、彼の干からびた手のひらには冷や汗が滲み出ている。
 ヴィーが入り口モニターにカードをかざすと、ドアは音もなく開いた。そこには、
「やぁ。始めましてヒトリちゃん」
 笑顔で出迎えてくれた人間は、ヒトリが想像していた人物像とはかけ離れている。
 優しそうで端正な顔立ち、焦げ茶色の髪は後ろで束ねられて、眼鏡の向こうでは子供を見守るような瞳があって。確かに見た目は白衣を着ているただのドクターだが、予想よりもこの人は大丈夫かなと思えていた。
「僕はカリマタ、カリマタイノヤ。01IK0104Rだ。普段はこの組織の研究所長をしているよ。君の相棒のヴィー君の専属医も勤めているけど、これからは君が起動要員として働けるためのお手伝いもさせてもらうね! 」
「は、はじねまして。」
 身体をこわばらせた肉の壁を挟んで、脚の後ろから顔を覗かせた少女は相手の細い手を握り返す。二人はカリマタに案内されるがままに、部屋の中へと入っていった。 部屋の中は事務室よりもずっと大きくて冷たく、本棚や器具棚が敷き詰められている。部屋の奥には培養槽のようなものが見えたが、ホースが乱雑に転がっており、作動はしていなかった。一人用の研究室にしては広すぎるが、現役の共同研究室でも無さそうだ。
 屋主は来客をキャスター付きの椅子に座らせて、部屋の隅にあるテーブルに手をついた。
「単刀直入に言おう。ヒトリちゃんの手術は一応成功したが、良くない誤算が大きすぎたんだ」
「え。」
 自分が手術を受けさせられた意味を知らないヒトリは、彼が一体何を言っているのか理解ができない。戸惑っている彼女に助け舟を出すかのように、今度はヴィーが口を開いた。
「彼女の能力、手術内容の一切はまだ彼女に教えていません。手術結果とともに、ここでご説明ください」
「ええっ。そうなのかい? ……まぁ、構わないよ」
 ニコリと微笑むドクターは、パソコンのモニターをずらして二人に見せてくれた。
「まずね。君は液状化という能力を持っている。黄土色の髪と鋼色の瞳はその証だよ。そんな君を僕ら遺伝子研究機構は保護し、君をスパイ要員として育てていた」
(ヴィーが最初に言ってたやつか。でも、液状化って何だろう)
「でも、君にはその液状化能力を持っている代わり、特殊体質として長期の記憶が出来なかったんだよ。だから今回の手術で頭の回路を操作し、一般の人間と同じように記憶のできるよう試みた」
「結果は? 」
「成功だ。ヴィー君の相棒はちゃんと人の名前や今までの出来事を長く覚え続けられるようになった」
 黄土色の髪をいじりながら、病人の服を身に纏った少女は納得したように頷く。あとで能力について聞こうと考えていると、さらに彼はこうも続けた。
「想定の範囲内だったけど、今までの記憶は飛んでしまったよ。知識は別の研究者が後付をしてくれたからいいけどね」
「別人ですけど? 」
 声色を低くして相手をにらみつけるヴィーに、ドクターは困った顔で両手を上げた。
「それについては改めて君に話すよヴィー君。今ヒトリちゃんにそれを言ってもどうしようも無いだろう? 」
「……」
 険悪な雰囲気ができてしまった部屋の中で、割り込むようにヒトリは質問を投げかける。
「あ、え、液じょお化って、何ができるんだ? 」
「そう。液状化能力は地上に存在するどの能力よりも異質かつチートなんだよ! 君は能力が弱いから、僕の開発した増進剤を使えば、任意のタイミングで能力強化ができるのさ。……すなわち、圧倒的にスパイ活動に向いている」
「……」
「ってな訳でヒョウカちゃ〜ん、ササクラ君〜ヒトリちゃんに指導お願ーい」
「「了解です」!」
 ろくにヒトリの質問に答えもせずに、ヴィーの声掛けにも応じずに、カリマタは奥扉に声をかける。すると待っていたかのように別の人間の声がくぐもって聞こえてきた。
「ヒトリちゃん。向こうで僕のアシスタント達がいろいろ教えてくれるから、暫くそこで指導してもらうといいよ。今から僕は、君の相棒と話をするから」
 そういった研究者の瞳の奥底を見ないまま、少女はたった一人の家族を背にするほかなかった。

Aランク81ブロック第26地区
多目的室

「はじ、ね、まして。」
 なんだか怖そうな二人の大人に挟まれて、ガクガクと震えながらヒトリは細く挨拶をする。二人はそういう性質なのか、そんなヒトリに容赦なく詰め寄り始めた。
「かぁわいい! ちっちゃ! お人形さんみたい、お人形さんみたいっ‼ えっとね、あたしセキ。第四部隊研究員のセキヒョウカだよ! 04HS0202Rだよ! うへへへへ」
 くせっ毛の黒髪をサイドテールにした二十代後半くらいの濃隈女性研究員は、大きな焦げ茶の瞳を輝かせてヒトリを見つめてくる。もう一人のごつい黒髪の男は、彼女よりも幾分かおとなしいようだ。二人共ごく普通の東洋人の見た目をしている。
「セキさん失礼っすよ。この子もう17歳らしいから。あ、おれ06KS0102F、ササクラケイゴっす。昔からのヒトリさんの稽古仲間のようなものっすね。事情はカリマタ博士から聞いてますよ」
(な、何だこの人たち……)
 ヴィーと比べても愛想のいいセキであるのに、彼女から特に安心感は得られない。しかしなぜだか、ササクラからはなんとも言えない懐かしさを感じていた。
「ヒトリ、です。よろしく、れす。」
「宜しく」
「よろ〜。液状化の操り方は、カリマタさまさまに変わってセキちゃんがしっかりご伝授しちゃいます! それが終わったら初任務までササクラちゃんがみっちりしごいてくれっから覚悟しといてね☆」

 誰もいない小さなトレーニングルーム。ササクラが片手で腕立て伏せをしている間に、女性陣二人は角で液状化の練習に勤しんでいる。
「後で増進剤を渡すけど、何もない状態で練習しとかないとやばいとこも溶けちゃうらしいから気をつけよーね。あと体力もしっかりつけてからやろう」
「やばい……とこ……。へぁい。」
「まず手からだって。イメージは、『溶かしたくない指の形を意識しながら、熱を送るように皮膚の中から少しづつ柔らかくなっていく感じ。血管を包み込むように、液体の軌道を意識して』……何このグロい解説」
 ヒトリの華奢な右手を覗き見ながら、セキは真剣な顔つきで変化を見守る。まぶたを閉じゆっくりと深呼吸をして、手に力を込めた。
「……。」
 しかし、そうやすやすとできるものでは無いらしい。経験もなく感覚もわからない彼女は、悔しそうに何ともない手を握りしめた。それを見て励ますように、白衣の女はあっけらかんと笑って手を広げる。
「まぁわっかんないよね。最初はみんなそんなもんだよ」
「みんな? 」
 ヒトリの質問は聞こえなかったらしい。セキはふと、視線の定まらない遠くを見上げて、思い出したように彼女に問いかけた。
「この組織が、何をしてるかって聞いた? 」
「敵を、倒す。」
「ヒトリちゃんの相方さんって何なのマジで」
「俺のこと、あんま、好き。じゃ……らい。」
 苦笑いをしながら、わざとらしい咳払いをして人差し指を立てた。
「この組織はね? 遺伝子の研究機構ってわけだから、できるだけ皆をある程度頭が良くて、運動ができて、病気に強くできるようにする研究をしてたんだって。だけど機械派勢力……今は『MERO』っていうんだけどね? あぁそれが敵ね。とかの反対で研究結果は殆ど実用に至らなかったし、数少ない能力者は差別されちゃったの。それで地下に追いやられて過激化した組織は、もっと高度な能力の研究を始めたんだよね」
「MERO……あ、のーりょく例えば。」
「あたしの専門範囲外だけどね。一つは超視力。ある民族の遺伝子を参考にして実用化されたの。人間の約六割にこの能力を持った眼球が副作用なく適応できるんだって。でもあそこのササクラちゃんは不適応の体質だから、代わりに回復速度が早い遺伝子を組み込んでる」
 その能力は羨ましいなぁと思いつつも、人間の能力を増強するような内容は、自分のそれとはあまりにも系統の違うもので少し拍子抜けをする。それに聞いた話が本当なら、自分の能力のおかげでこの組織に受け入れられたという点も気になった。
「俺は、生まれたときからこれ。どして。」
「あぁ〜。聞いたところじゃ、本来人には無い能力を持って生まれてくる人が居るらしくてね。事例聞くにどう考えてもただの突然変異じゃなさそうだから、どういうプロセスかは知らないけど。」
「あ、おれ昔地上で見たことありますよ。腕の関節が無くて触手みたいなおにいさん」
 先程まで黙って話を聞いていたササクラが、二本の指で腕立て伏せをしながら口を挟みつつ、ヒトリの能力について話を戻してくる。
「先天的な能力は他人からのアドバイスがあまりできないっす。でもおれ、前のヒトリさんの液状化見てきてるからイメージはわかりますよ」
「あそなの? そういやササクラちゃん前にヒトリちゃんとトレーニングしてたらしーね」
「っす。なんかこう、熱いろうそくの先からろうがツゥ〜みたいなやつっすね」
「‼ なるほど。」
 その説明にピンときたヒトリは、赤い炎の軌道を凝視しながらゆっくりと頷いて再び手に熱を込めた。
(内側が溶けて、先端から皮膚が薄く残りながら変形……。力を込めるのは液状化したい方)
 どろり。
 突然ヒトリの爪がとろけだし、人差し指が先からドロドロと形を変えていく。肌の紅さを残しながら特に痛みもなく感覚が鈍っていくようだった。
「ぅあ‼ 」
 びっくりしてヒトリが力を抜くと、形状記憶合金の様に人差し指がもとの形を取り戻していった。
「すげい成功だよヒトリちゃん‼ あたし液状化なんてマジに一度も見たことないから(ちょっとキモいけど)こりゃ感動だよ‼」
 ヒトリの肩を乱暴に揺らしながら、セキは待ってましたとばかりにポケットの中身を取り出した。
「……うでわ。」
「このリストバンドは、何を隠そうあたしの恩師カリマタさまさまが開発した、ヒトリちゃん専用の増進剤入り! 普段から針で固定しておいて、場合に応じて点滴みたいに身体に入れるのだ。一滴で腕と脚と髪、二滴で身体全体を変形させられるとっておきのアイテムだよ‼ 因みにデザインはあたしが内職して考えた! 」
 特殊な材質で出来たその腕輪には、確かに内側に小さな針がついている。研究者の指示のままに手渡された腕輪をはめてみると、1,2と書かれた二つのボタンがついていた。
「すぐに使っちゃ駄目っすよ。まずはおれと一緒に体力をつけて、セキさんに見てもらいながら少しづつ訓練に液状化を使っていきましょうか」
「はい。」
 手首に巻き付いたそれの表面を恐る恐る撫でながら、ふと、彼女は思い出したように二人の大人に問いかける。
「ねぇ、どうして二人がついてくれるんだ? 」
「あたしたち、普通クラスの構成員の中でも第十四部隊の存在を知っている数少ない人の一人だからね」
 それがまるでとてつもない名誉なことであるかのように、白衣の研究者は何もない胸を張る。ヒトリが今まで目にしてきた人間が極端に少ないのは、どうやらそれが原因らしい。
「スパイ系の部隊はあんまり周りに知られちゃまずい。というわけっす。んじゃ、始めますか」
 やっと立ち上がり、ヒトリのリストバンドの電源を切ったササクラは待ち切れなさそうに腕を回す。優し気な目元はその奥底で、再び彼女を扱けることを楽しみにしていた。どうやら、長椅子から立ち上がった新しい彼女も気持ちは同じであったらしい。
(ここの人たちは優しい。俺はこんな人たちに助けられた。ヴィーも、本当はきっと良い人だ。だから、頑張ろう)
「うん。」

「……にしても、君はここ最近でずいぶんと老けたようだね。理由は聞かないけども」
「何とでも笑ってくださいませ。どうあろうとも、私があなたを恨んでいるヴィーであることは同じですので」
「そりゃあ、君の脱出計画がヒトリちゃんの人格が変わったことで台無しになるだろうってのは事実だけども」
 場所は戻って研究室、ヒトリたちが訓練に勤しんでいる間、やつれた大人たちは張り詰めた空気の中で、相手を探りながらも笑顔を取り繕っていた。
「ねぇ、ヴィー君。ヒトリちゃんと過ごしてどうだったかい? 」
「随分とひどいものでしたよ。精神年齢が見た目……いや、それ以上に幼くなっていらっしゃって。あれは最早、ヒトさんではない。こんな不祥事を起こした責任者の顔を拝んでみたいものです」
「罪人の君からよくそんな言葉が出るものだよ。……だけど君の言うとおり、確かに彼女の知能指数は数値的にも感覚的にも昔より退化しているね。残念ながらこの組織で、彼女が並の人間のようにやれる仕事は無さそうだ」
 白衣の男の前で、彼はヒトリの相手をするとき以上に厭味ったらしく遜って喋る。若作りの白衣の彼は、それを逆に面白がって弄ぼうとしていた。
「それなら」
「でもね、由衣君が引退してヒトリちゃんがああなろうとも、当初から予定していた君たちのスパイ部隊化計画が、今はやはり一番現実味があるんだよね」
 ヴィーは心底忌まわしげに、眉間にシワを寄せる。あの扱いづらい相棒にさえも決して見せない憎悪の表情だった。
「あのような状態の彼女を一人で地上に? 冗談も休み休み仰ってくださいませ。第一私にあの様なおつむの弱い少女のオペレーターが務まるとお思いですか? 」
 真剣な顔つきに変わった大男を流し見て、一回り若そうに見える男は静かに俯いて呼吸を整える。 彼は再び顔を上げて、鋭く言葉を放った。
「君は早く外へ出たいんだろう? なら黙って働いてくれればいいんだよ。ヒトリちゃんは変わってしまった。頭の回転の速さが売りの君でも、彼女の頭の回転の遅さを補えない。……だったら、他でもない君がもっと変われば良い話だ。君なら分かるだろう? 」
 横長に潰れたカリマタの瞳を、改めてNo.7は、人間の目ではないと悟った。
 しかし、外道なのは罪人も同じこと。
「……ではこちらからも。この組織が役目を終えたときは、彼女を元に戻してください。あの物分りの悪いガキではなく、本当のヒトリさんに」

Aランク81ブロック第26地区
遺伝子研究機構 第七小研究室

「あれから三ヶ月か……成長するもんだねぇ。大人も子供も」
「はじめての模擬訓練には度肝を抜かれましたよ。まさかあのヒトさんが……と。それにしても、これでまた地下脱出が遠のきましたからねぇ」
「君とヒトリちゃんで組織に大きく貢献する。それが君たちにとって一番現実味のある地上への脱出方法だよ」
 ヒトリが何度目かの情報取得任務に成功してしばらく経った、ある休日。日課として健康診断を受けていたヴィーは、カリマタと共に苦い昔話に興じていた。数日前大きな手術をした大男は以前にもまして相当やつれている。主治医から手渡された杖を憂鬱そうに一瞥してから、彼は話題を戻した。
「本当に、頭の回転が早くなりましたよ。これはもはや気のせいではありません。その弊害で、ヒトさんの知能指数は更に悪化しましたが……ハハ、それは私の責任です。私の足が動かなくなる前にどうにかしなければ」
「おや? はじめは新しい彼女をあれ程嫌っていたのに、仲良くなってみるもんだね。それから、ヴィー君は当分は杖生活だね。君の身体は素材がいいから、それほど生活する上で大きな違いは出ないと思うよ」
「この足枷を、違いがないとおっしゃるのですか貴方様は」
 毒の混じった笑い声を掛け合いながら、二人は昔の若々しさを忘れてすぐに息を整える。
「そういえば、あのお二方とヒトさんのトレーニングの進捗はどうですか? 」
「ササクラ君曰く、『ばっちりっすよカリマタさん』だってさ。ヒトリちゃんに聞いてあげなよ、何キロまでベンチプレスできるようになったかって」
「べ……ンチ」
「今のヒトリちゃん、五十キロベンチプレス余裕でできるって、喜んでるんだってさ」
 後輩の構成員と和気あいあいと筋トレしている。そんな相棒の姿を想像しながら、これから起こる恐ろしいことはまずおいといて……ヴィーは思わず叫んだ。
「私の相棒を、そんな筋肉バカにしないでくださいませんかぁ⁉ 」

 その日の夜。いつも無駄話とタイプ音の混ざる和気あいあいとした十四部隊事務室の中は、珍しく二人揃って黙りこくっている。一人は大きくつばを飲み込んで、一人は特になんともなさそうに、壁に埋め込まれたモニターを睨んでいた。
 画面の中では、十人程度のまばらな服を着た人間たちが楕円のテーブルを囲みながら、正面に佇む一人の女性に顔を向けていた。
『第一部隊、第二部隊の諸君。今日はよく集まってくれた。統括長補佐役である私から、今日は新たな任務を伝えさせてもらう』
(あぁ……今日もシノザキ様はかっこいいなぁ)
 黒い瞳にうっとりしながら、ヒトリは何も考えずに上司のその先を促す。
『MERO討伐に向けて、中立派閥の勢力縮小を目的とした遠征を始めていく。始めの任務は最も本部との連携が堅い融合派の弱体化、すなわち暗部融合派の討伐だ。このごろ暗部融合派とMERO融合派との連携が再び懸念されている。それ故に彼らの結束を阻止するために動くべきだとの統括長様のお考えである。大まかな計画の流れをデータとして送っておいた。みな実行に向け、心してかかってくれ』
「了解。」
(ついに本腰を入れてきたか。MERO討伐へ)
 画面越しに敬礼をする相棒を恐ろしそうに眺めながら、ヴィーはその新たなる計画にヒトリが巻き込まれることを予想せざるを得なかった。

 夜は暗さを増し、明るかった昼の面影さえも残さない。暗く闇に沈むのは、空を見上げられない彼らだけではないのだ。